中森明菜、山口百恵の『秋桜』を歌う。

僕は1986年に渡米してそれ以来30年以上ニューヨークに住んでいます。そう、コロナでまた有名になってしまいました。僕は喘息の持病もあり歳も歳なので感染にはけっこう気をつけて何とか元気に過ごしています。
ようやくこの街も少しずつ落ち着いてきましたが3、4ヶ月前は本当にひどい状況でした。ニューヨークに来る前の15年位は東京で働いていました。新宿のレストランと神田の看板屋で。

『秋桜』(コスモス)は1977年(昭和52年)にリリースされた山口百恵の19枚目のシングルで、よく知られてるように作詞と作曲はさだまさしです。当時僕は24、5才でリアルタイムで聴いていました。仕事場のラジオやテレビの歌番組で。「夜のヒットスタジオ」とか「ザ・ベストテン」はホントよく見ていました。
僕はすごい中森明菜ファンではなかったけれど、今思えばカセット(!?)に、ファースト・シングルの『スローモーション』とシングル3曲目の『セカンド・ラブ』が入っていたのは今も覚えています。まあ、ロック系ツッパリ系もいいですがバラード系がより好きなのは今も同じです。

普通どんなに上手い歌手でも、他の歌手の歌をカバーをするとほんの少しの所でオリジナルには負けてしまいます。オリジナルは時間をかけて、その歌手の色に染め上がった歌だから、最初から勝ち目はないのは確かです。もちろん歌は勝ち負けじゃないですが。

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で中森明菜が歌う『秋桜』ですが、すごいです。カバーではなくまるで自分の曲のようです。声は全然大きくないのに、ほとんど持って行かれてしまいます。聴いた後の余韻がすごいので、繰り返して聴けないのが欠点(?)でしょうか。
動画のコメントを見て初めて気付きましたが、ピアス、ネックレス、指輪、ブレスレットとか身に付けてないんですね、そしてシンプルな薄い紫色のワンピースに素っ気無いステージ、逆に歌だけを聴いてもらうという気迫を感じます。こうやってこの文を書きながら「中森明菜」とタイプしてその字面を見るとそれだけで、また持って行かれそうです。ホント何なんでしょう、これは。

映画で俳優がすごい演技だという時、その映画自体も必ずすごいですね。演技だけすごいという映画は無いと思います。歌も同じで中森明菜の歌唱だけがすごいなんてことはあり得ないです。中森明菜の『秋桜』がすごいのは、さだまさしの『秋桜』がすごいからで、山口百恵の『秋桜』がやっぱりすごいからです。

英語のコメントの中に「SAD」という単語が結構ありますね。確かに彼女の歌い方のキーワードは「悲しみ」だと思います。ですが幸せの絶頂にいる人でも悲しい歌を上手に歌えるように、この悲しさはリアリズムではありません。悲しさを表現して人を悲しくさせている訳ではない。
この中森明菜版、『秋桜』を聴いて涙を流す人はリアルな世界の涙を流しているのではない。普通は涙なんか流したくないですよね、それは出来れば避けたかった悲しいことが起こって流れるものだから。でも、悲しさという意味では虚構だけど悲しいという感情を持っているという意味では現実です。

明菜さんの『秋桜』に僕たちは引き込まれる。歌を楽しみたいと思っていたのに自分も悲しくなって泣いてしまう。歌は「楽しさ」や「幸せ」さえも「悲しさ」で表現出来る。その度合が明菜さんはすごいのです。
じゃあ、歌を聴いてどうして泣いたりするのかと言ったら、それは中森明菜の『秋桜』が皆んなが持ってる「悲しみと」いう感情を介して僕たちをどこかへ連れて行ってくれたり何かを届けてくれるからなのです、僕の考えでは。

もしそうだとしたら、歌手たち、そして中森明菜は「こことどこか」や「無いものと有るもの」を繋ぐことを仕事にしている「メディア=媒体」だと言えます。ちなみに、「この世とあの世」を繋ぐのは巫女さんです。だから、誤解を恐れずに言えば「悲しみ」は彼女の大事な仕事道具の一つです。大工さんのカンナです、それも飛びきりよく切れる。
そして、たまに自分の指を切ってしまうこともある。と言うよりいつも傷を作ってしまう。それを敏感に察した痛々しいコメントもとても多いですね。ファンの人もそれを良く分かっています。でも、でもです、どんなに悲しそうに歌っても、やっぱり歌を歌うことは楽しいのです。だからそれは歌い継がれる。

で、中森明菜という歌手はこのメディアとしての才能が半端ないのです。なぜそうなのかと言うと明菜さんが好きだった歌手達もそうだったという余りにも当たり前の話しです。山口百恵はホント凄かった。『山口百恵は菩薩である』(平岡正明著、1983年)というタイトルの本が出た位ですから。だから僕達は中森明菜を聴いていながら同時に山口百恵も聴いているし、さだまさしも聴いている。カバー曲を歌うとはそういう事ですね。

歌手は歌を歌うということ自体をリレーしている、次の歌の作り手と歌い手へ。まさにメディアそのものですね。後で知ったのですが明菜さんは沢山のカバーアルバムをリリースしていますね。それもカバーアルバムブームの先駆けとしてかなりの枚数を。自身のメディア的な資質を無意識的に感知していたのでしょうか?
それにしても、歌謡曲、演歌そしてフォークソングと様々なジャンルの曲をカバーして歌い、セールス面でもかなりの成功を収めているというのは、今これを書いている僕にとって嬉しい驚きと発見です。
プロとしてカバーを歌うにはオリジナルとは別の難しさがあると思いますが、オリジナルと一番違うのは、自然と一人の歌が好きな人に戻れるということにあるのではないでしょうか。

明菜さんをYouTubeで見ていると、テレビでもう一度観たいというコメントが結構ありますね。ブラウン管を隔て、一般庶民とスターを繋ぐ中森明菜というメディアですね。もちろん生のコンサートもいいですが、テレビの虚構性にも惹かれる僕です。
仕事帰りのラーメン屋のカウンター越しに中森明菜の歌に見入るという構図です。どうしてこのテレビの虚構性に惹かれるかは良く分からないですが、もしこの店の主人が明菜さんの曲の途中でナイターの巨人阪神戦にチャンネルを変えたとしたら、巨人ファンの僕でもイラッとしますね、確実に。

僕が1986年にニューヨークに来たのは、ここでアーティストになって有名になってお金を稼ぐことでした。で当然それを諦めることになりアートのことはすっかり忘れて、生活のために働き続けて気がついたら還暦を過ぎていたのでした。

で何十年のブランクの後、また作品を作ったり文を書くようなった。アート好きだったけどほんとバカだった僕は一周まわってもう一度同じ場所に立っています。あまりにも時間が経ってしまいましたが。僕はいつも昔の僕と未来の僕を繋いでいる。僕は僕というメディアです、僕自身のための。

中森明菜の歌は、中森明菜の人生のその時々の出来事と切り離すことは出来ません。人は皆んな、そして中森明菜も、17才でも25才でも54才でも60才でもこの世に生まれてくることは出来ない。17才が25才に繋がり54才が60才に繋がって行く。
それは結局人生に幸、不幸はあるけれど無駄なことは何もないということです。僕達は人生のいいとこ取りは出来ない。それは自分さえも自分のものではないという運命の過酷さを受け入れることです、なんちゃって。。。

運命は過酷だけれど、それこそ「運」という強い味方もあります。明菜さんの今の望みを、僕は知ることは出来ないですが。とにかく元気で平穏なことが何よりだと思います。

では最後に、僕の大好きなサンバ(パゴーヂ)の曲を紹介して終わりにしたいと思います。僕の妄想の中の明菜さんのラテンカバーアルバムの一曲目です。
歌っているのは「サンバの女王」ベッチ・カルヴァーリョさん、曲のタイトルは『豆の袋』です。日本の歌姫はブラジルのサンバの女王の『豆の袋』をどう歌いこなすのか。まずは歌のタイトルに負けないように?! 何か妄想が止まりそうもありません(笑)。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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